大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和39年(む)156号 判決 1964年3月13日

被告人 金子庄二

決  定

(被告人氏名略)

右の者から被告人金子庄二のために上訴権回復の請求があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上訴権回復の請求を棄却する。

理由

本件請求の趣旨及び理由は別紙鶴丸富男作成名義の「上訴権回復の申立」と題する書面に記載してあるとおりであるからこれをこゝに引用する。

右の被告事件の記録ならびに本件申立書添付の疎明資料によると、被告人金子庄二は昭和三八年二月一〇日暴行、恐喝、傷害、現住建造物放火等被告事件につき判示第一ないし第六の罪につき懲役一年に、判示第七ないし第一三の罪につき懲役四年に各処する旨の判決(判示第一二が現住建造物放火の罪)言渡を受け、同日福岡刑務所土手町拘置支所に収監されたが、同月一一日同房者田中善太郎の助力を得て同人が同支所備付の上訴申立書用紙に現住建造物放火被告事件につき言渡された懲役四年の判決に対し控訴する旨記入し、これに被告人が署名指印して控訴申立書を作成し、これを第一審裁判所たる当裁判所に提出したものの、前者の併合罪にかゝる懲役一年の裁判に対しては何ら不服申立の手続を執ることなく上訴期間を徒過したこと、被告人は同年二月一五日以来保釈々放されていたが、同年三月四日右懲役一年の刑執行の為収監する旨の通告を受けたこと等の事実を一応認めることができる。しかして本件の如く二個の主文を以て言渡された判決につきその一部に対する上訴申立書は適法に提出してこれに上訴しながら、他の部分については何ら不服申立の手続を経ずして上訴期間を徒過するにおいては右の部分にかゝる裁判は確定するものであることは明白である。

そこで請求人主張の本件上訴権回復請求の理由について考えるに、請求人は、被告人が前記懲役一年の部分につき上訴の手続をとらなかつた理由は、被告人ならびに本件控訴申立書の記載にあたつた前記田中善太郎らは法律知識に乏しく、且つ申立書に検印した拘置支所係官らからも格別に注意等もなかつたことから前記の如き記載の控訴申立書を提出すれば、被告人に対する本件判決の全部に対し適法に控訴申立をなしたことになるものと信じていた為であると主張するが、被告人の作成提出にかかる前記控訴申立書の記載の態容自体に徴すれば、被告人が右主張のごとく信じていたとはたやすく信用し得ない、仮に被告人が判決全部に不服でありながら右主張のごとく信じていたとすれば、判決の確定いかんを左右する重大な結果を招来する控訴申立の手続について格別の注意を払い万全の措置を講ずべきであつたにも拘らず、前記田中の所為にたやすく信を置き前記控訴申立書の記載を了知しながらこれに署名指印し該控訴申立を以て本件判決全部につき控訴申立の効力が生じたと思い込み、この点につき格別に考慮を払うことなくして上訴期間を徒過するに至つたことに帰着し、上訴権者たる被告人自身の過失に基ずくものといわざるを得ないから、かゝる請求人主張のような事情は刑事訴訟法三六二条に「上訴権者又はその代人の責に帰すことができない事由」に該当するものとは認められない。

なお、請求人は更に本件の控訴申立書の記載のうち一部についてのみ上訴する旨の文詞は右被告人の錯誤によるもので無効であるとの事由を主張するもので、右の主張は詳らかでないが、結局本件控訴申立は前者の併合罪にかゝる懲役一年の部分を含む本件判決の全部にわたつてなされたものと解すべきであるとの主張に帰するものとみられるのであるが、仮りに錯誤を理由にその無効を認め得るとしても、かゝる主張は、上訴の提起期間内に上訴をすることができなかつたことを前提とする上訴権回復の請求の事由としては、その主張自体矛盾すること明らかであるから、この事由を以て本件請求の理由とすることはできない。

よつて、本件上訴権回復の請求はその理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 塚本富士男 森永龍彦 北村恬夫)

上訴権回復の申立

被告人 金子庄二

右の者に対する暴行、傷害、恐喝、現住建造物放火等について福岡地方裁判所において昭和三九年二月一〇日懲役一年並びに懲役四年の有罪判決があつたが、被告人は右懲役四年に対して控訴手続をとり懲役一年に対しては控訴の申立をすることなく上訴提起期間(同年二月二五日迄)を経過したものである。よつて左記裁判を求める。

申立の趣旨

一、当裁判所が被告人に対し暴行、傷害、恐喝等被告事件につき、昭和三九年二月一〇日言渡した懲役一年の有罪判決に対する被告人の上訴権の回復を認める。

二、本申立につき決定をなすまで被告人に対する懲役一年の判決の執行を停止する。

申立の理由

第一点 被告人は自己または代人の責に帰すべからざる事由により控訴の申立をしなかつたものである。即ち

一、被告人は冒頭記載の各懲役刑の判決を受け懲役四年に対して控訴申立書を勾留中の土手町拘置支所係官を通じ昭和三九年二月一一日付をもつて福岡地方裁判所に提出している。而して同控訴申立書本文の「現住建造物放火」との記載及び「懲役四年」との記載はたまたま同房であつた窃盗容疑者田中善太郎が被告人に対する同情から進んで書いてやつたものであり、末尾の申立人の氏名は被告人が自署し指印したものである。

二、右の如くなした経緯は次の事情からである。

被告人は判決言渡を受け直ちに前記拘置所に収監されたが同房の者に判決の結果を聞かれたので「傷害が一年、放火が四年」だつたと答えたところ皆が「えらいうたれたね、すぐ控訴せんといかん」と言うので被告人はどうしたらよかろうかと相談した。そしたら「係から紙ば貰いやい」と言うてくれたので係官から備付の申立用紙を貰つたところ前記田中が被告人に対し「明日しやい」と勧めた。被告人は翌日自分で控訴申立書の記載をなすべく便箋に罪名の下書きをしていたけれども罪名の「傷害」の字がわからず、右田中に聞いた。そしたら同人が「それぢや俺が書いてやろう」と言つてさつさと前記申立書本文を書き「ここに名前ば書きない」と言うので被告人が自署して指印したものである。

三、被告人は自己の被告事件のうち放火の点を放火ではないと主張して終始争つていたのにこれが有罪判決となつたことに昂奮しており全く精神的な平静さを失つていた。しかのみならず被告人の妻が判決言渡日に子宮癌で病院に入院し同日直ちに手術の予定であつたために被告人は妻のことが心配で冷静に上訴申立について判断できないでいた。一方被告人としては直ちに保釈により出所したい一心でいたところに同房の者達に前記の如くすぐ「控訴せんといかん」と言われたため言渡の翌日原審弁護人に相談することもなく申立をするに至つたものである。

四、被告人は前記控訴申立書を判決全部についてなしたものと信じていた。被告人としては右の如き条件下の精神状態にあり、且つ判決で懲役一年と四年にされた法律的な意味を知らず且つかかる判決に対して控訴申立をするのにどのような方式で書くべきかも知らなかつた。被告人としては審理の際一番争い、しかも判決で一番重い刑となつた放火罪について前記申立書記載の通りにしておけば判決全部について控訴したことになると信じ切つていたし、三月四日検察庁で説明されるまで判決全部について控訴していたものと確信していたのである。

申立書本文を書いた前記田中も被告人と同様判決の法律的な意味を知らずかかる判決に対する控訴申立書の記載方法を知らなかつたのである。

五、前記申立書は拘置所係官に被告人から手渡している。しかし乍ら係官からは記載内容について何等注意をうながされたこともなく、そのまま受理されたので被告人としては申立書が間違いのないものと信じていた。拘置所は控訴状を検印して裁判所に提出しているが係官にとつて被告人が如何なる判決を受けたものであるか、また、かかる判決に対する全部控訴の書き方がどのようになさるべきかは係官として職務上当然に知り得ている事項である。殊に申立書自体が既に不動文字で印刷し備付けられたものであることからしても法律に無知な被告人自身の控訴申立書の記載には格別注意をなすべき職責があるといわなければならない。殊に判決で刑が数個となつてる場合は特に注意して本人の意思を確かめ検印すべきである。ただ慢然と検印し被告人に何等の注意をうながさなかつたことは係官の職務上の過失と言わざるを得ないのである。しかのみならずその印刷された申立書そのものが懲役何年と記載するように空白にしてあるのは無用のことで「……判決があつたが全部不服であるから控訴を申立てる」とだけにしておけば事足りるのに。

六、原審弁護人に被告人が相談せずに申立をしたことに過失がある如く思われるけれども被告人としては申立の日に改めて控訴の弁護を依頼していなかつたことや前記二、ないし四、の客観的な条件下において、しかも右五、の如く拘置所の検印がなされるので、記載が悪ければ注意されるであろうと思つていたのであるからこの点で被告人の過失を責めるべき理由とはなし難いと信ずる。

以上の通りであるから(殊に一、三、ないし五、の事由から)被告人が控訴を申立てなかつたことについて自己にまたは代人たる田中善太郎の責に帰すべき事由ありとはなし難いと信ずる。

第二点 上訴申立は被告人の錯誤に基くものであり控訴申立書の前記本文の罪名及び刑の記載部分(一部上訴の記載)は訴訟法上無効のものであり、かかる場合全部控訴がなされたものと信ずる。被告人の前記一部控訴申立には要素の錯誤がある。罪名と刑は控訴申立の要素であると信ずる(本件の申立書の書式に関する限りにおいて)

被告人が全部控訴していたと信じていたこと、この錯誤に本人の責に帰すべき事由のないことについては第一点において詳述した通りである。

訴訟法理論として錯誤による無効を認め得るかは一つの問題点であり、従来学説の大半、大審院判例においては否定されているけれども最高裁判決(昭和二四年六月一六日刑集三巻一〇八二頁)はこれを認めるかの如くであり近時有力学説の認めるところである。本弁護人は刑事訴訟手続が画一的で確実性を要求することを認めると同時に反面被告人の利益を最大限度尊重すべきものでなければならないと信じている。訴訟の手続面で強くこのことを痛感するが上訴権の問題は正にその最たるものである。併し乍ら本件の場合最も重い懲役四年の刑について控訴中であつて右一部上訴の無効を認めたとしても何等手続上その画一性を害する結果を生ずるとも思われないのであるから被告人の如き事例の場合錯誤による無効を認めることが訴訟手続における右要請を最もよく調和させ得るものと信ずる。(一部上訴でなく全部上訴の錯誤では手続の確実性が強く無効とすべきか疑いがあるけれども。)

第三、被告人の陳述書にある通り被告人の家庭の事情、真面目に働いており重要な仕事をしていて刑の執行を受けたら代りのものがいないため会社はトラツク一〇台を当分遊ばせなければならない状況にある。被告人の妻も手術後の経過がかんばしくなく当分入院しなければならない。また被告人は現に保釈中でもあるから諸般の事情を御勘案戴き本申立に対し御決定あるまで特に刑の執行停止相成りたく申請する。

第一点については田中善太郎、拘置所係官、被告人その他の者を御審尋相成りたく申添える。なお、検察庁は被告人を三月一〇日午後一時収監して刑の執行をなすこととなつているのででき得ればそれまでに執行停止の御決定を戴きたい。

よつて本申立に及んだ次第である。

附属書類(略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例